ラーメンのルーツ
安政6(1859)年7月1日
横浜港開港、日本特産の生糸、お茶等の取り引きにきた貿易商人の通訳だった広東系中国人は 唐人街を形成(後に中華街として全国に知られる)この地でラーメンは誕生した。
明治10(1877)年
西南戦争の時代、ラーメンのことを当時は「うどん」と呼んでいた。
明治30(1897)年
その当時には、麺棒で延ばして包丁で切った かん水入りの柳麺に鰹節や昆布、醤油でアレンジしたラーメンを食するようになった。
大正中期
本格的な支那料理が出始める。 そんな頃に関東大震災が発生して、東京の街は焼け野原、職をなくした料理人たちが支那そば屋台をひき急増する。チャルメラの音が街に鳴り響く。
昭和8(1933)年
ラーメン一杯が15銭 (現在570円)、天ぷらそば一杯が40銭 (現在1,200円)
*北海道や九州、またその他のご当地ラーメンが出現したのは、第二次世界大戦の後である。
また水戸徳川家の古文書によると中国の儒学者の朱舜水が水戸藩二代目藩主光国公に中国
の麺料理を献上したという記述が残っています。つまり、時代的背景を考えると、資
料として裏づけの取れるものが水戸にはあったということで、日本で一番最初に作ら
れたラーメンが水戸という事になります。
日本で最初にラーメンを食べたのは何を隠 そう水戸黄門様だったのです。
なめらかさを出すために、朱舜水は、ハスの粉を用い たとされ、そのために麺が日本そばのような色相をしていたようです。
ちょっと情報
土産物で「いばらき銘麺会」がこの麺を資料によって現在風に再現 し、
このいにしえの麺を「光國ラーメン」として、世に送り出しています
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